【菅原そろばん教室特別対談】そろばんで育む、子どもたちの未来と「共に生きる」寺子屋
【プロフィール】
菅原明美先生
子どもたちが安心して自分らしくいられる居場所(寺子屋)のような教室を長年運営。
技術の伝授に留まらず、子どもたちと温かい人間関係を築いている。
指導への情熱──その原点は中学3年生の「小さな成功体験」
インタビュアー:菅原先生、本日はお忙しい中お時間をいただき、本当にありがとうございます。今日は堅苦しい場ではありませんので、普段子どもたちや保護者の方にお話しされているような自然な想いを、リラックスしてお聞かせください。
菅原先生:はい、よろしくお願いいたします。ありがとうございます。
インタビュアー:では早速ですが、先生の指導への情熱について伺わせてください。
事前の打ち合わせの際、先生の指導の原点が、なんと「中学3年生の時」とお聞きして大変驚きました。家庭科の先生から、少しやんちゃな男の子のサポートを頼まれたそうですね。
菅原先生:そんな、大したことではないんですよ(笑)。
でも、昔の学校の先生方は、心にどこか余裕があったのでしょうね。更生というほど大げさなものではないのですが、当時中学1年生だった男の子が、勉強をあまりしなくなって、反抗期も重なり少しやんちゃになっていたんです。
その時、友人経由で「その子が2つ上の私(当時中学3年生)に、年上のお姉ちゃんに対するほのかな恋心を抱いているらしい」という話を聞きまして。それを知った家庭科の先生が、授業の後に「勉強する方向に気持ちを切り替えられるよう、うまく声をかけてくれないかしら」と私に相談されたのです。それで私も「じゃあ、ちょっと声をかけてみますね」とお引き受けしました。
それ以来、体育館での集まりや学級委員・生徒会の活動に行く際、下駄箱のところで彼に会うと「元気? 勉強もちゃんとしてる?」と声をかけるようにしたんです。すると、彼はちょっと照れくさそうに「うーん」と言いながら友達と笑っていました。
そんなことがしばらく続いたある日、定期試験の後に家庭科の先生から「明美ちゃん(菅原先生)のおかげで、あの子の成績が戻ってきたよ」と言っていただけたんです。その時は本当に嬉しかったですね。勉強を直接教えたわけではなく、ただ「試験頑張ってね」と声をかけていただけなのですが、彼なりに響くものがあったのだと思います。「こういう関わり方で、人が変わることもあるんだな」という、初めての新鮮な経験でした。
その家庭科の先生も、年配の本当に素敵な方でした。遊びの要素を取り入れながら楽しく授業をしてくださる方で、いわゆる「学校の先生」という枠を超えて、一人の人間として尊敬できる大人でした。中学時代にそういう先生に出会えたことは、私にとって非常に大きかったです。
それが、もしかしたら今の私のやり方に繋がっているのかもしれません。私は自分を「そろばんの先生」だとはあまり思っていなくて、「そろばんという技術を持っている近所のおばさんが、子どもたちを集めて教えている寺子屋」のような感覚なんです。当時の先生が見せてくれた気さくさ、ユーモア、そして機転の利かせ方は、今の私の教室運営の土台になっています。
──:当時から本当に可愛らしくて、マドンナのような憧れの存在だったのですね。
菅原先生:自分で言うのも何ですが、昔はそれなりに可愛らしかったのかもしれませんね(笑)。
人生の土台を作った、お姑さんの「見返りを求めない」生き方
インタビュアー:今の菅原先生の素晴らしい生き方や価値観を作ったもう一つのエピソードとして、以前お母様(お姑さん)のお話を挙げてくださいました。非常に深いお話でしたので、ぜひ詳しくお聞かせください。
菅原先生:お姑さんはすでに亡くなられているのですが、最近になって改めて「本当にすごい人だったんだな」と感じています。
誰しも自分が忙しい時は、家事などやらなければいけないことが後回しになり、溜まっていってしまいますよね。私も結婚して忙しくしていた頃、「やらなきゃ」と思いつつも手が回らず、ほったらかしにしてしまうことがありました。普通、お姑さんという立場であれば「手を出したら迷惑かしら」と遠慮したり、あるいは「私はやらないわよ」と冷たく突き放したりすることもあるかもしれません。
でも、うちのおばあちゃんは違いました。私が「本当に大変だな、困ったな」と思っている絶妙なタイミングで、何も言わずにさらっと家事を片付けておいてくれることが何度もあったのです。最初は素直に「あ、助かった! ラッキー」くらいに思っていたのですが、ある時、申し訳なくなって「いつも私がやるべきことをやっていただき、本当にすみません」と謝りました。
するとお姑さんは、「いやね、そこに片付けるべきものがあって、それを見て『今やれる人間』がやればいいだけのこと。誰がやるかなんて関係ないんだよ」と、さらっとおっしゃったんです。
ご自分も仕事を持って家計を支えていた人ですから、決して暇だったわけではありません。それでも「助けてあげよう」という恩着せがましさは一切なく、洗濯物が散らばっていれば誰のものであろうと畳み、洗い物があれば自分の担当でなくても自然に洗う。
今の時代は「ここまでは自分の仕事、ここからはあなたの仕事」と役割を分担したり、「手伝う」という言葉をよく使ったりしますよね。でも、そうではなく「汚れていたら、気がついた人がやる」「困っていることがあれば、今できる人がやる」。体力の伝承ではないですが、力のある人が力のない人のために、大げさに「やってあげる」のではなく、ただ「やればその場が済んでいく」という世界です。
そうすれば、「誰がやった、やらなかった」という不満も生まれず、すべてが円滑に回っていきます。自分が今できることを淡々とやっていくうちに、それが人間の内面を形成していくのではないかと思います。お姑さんから学んだ「当たり前のように働き、疲れたら寝て、できることをやる」という気負わない生き方は、今でも私の中に深く根付いています。
インタビュアー:見返りを求めず、相手を思いやる究極の姿勢ですね。
菅原先生:本当に、相手のためにやっているという雰囲気すら出さないんです。そんな風にさらっと生きられる人間になれたら素敵だなと、今でもずっと憧れています。
インタビュアー:お母様のフラットで温かい視線が、現在の菅原先生の教室運営や、子どもたちへの接し方にそのまま生きているのを感じます。
菅原先生:ありがとうございます。私の場合は、若い頃は至らないことばかりで、気づくのが遅すぎた人間なのですが(笑)。きっと神様が「やっと気づけたね」と見守ってくださっているのだと思います。
子ども一人ひとりの未来を想像し、共に物語を紡ぐ
インタビュアー:だからこそ、以前先生が仰っていた「一人ひとりみんな違うからこそ、その子の未来の環境を想像して楽しむ」という、現在の素晴らしいスタンスに繋がっているのですね。
菅原先生:そうですね。教室には年中さんや年長さんから体験に来てくれるのですが、うちの教室は本当に長く通ってくれる子が多いんです。この前も成人式を迎えて21歳になった子が、未だにそろばんを続けに来ています。その子も小学校低学年の頃から通ってくれている一人です。
小さなお子さんが新しく入ってくると、「あぁ、この子とこれからどういうご縁ができて、私とその子の間にどんな物語が紡がれていくのだろう」と想像するんです。そうするとワクワクしてきますし、「この子とはいつくらいまで一緒にいられるかな」と考えながら、毎回新鮮な気持ちで迎えています。だから、子どもたちと会うのが本当に楽しいんです。
中学生や高校生になっても付き合いは続きますし、一番嬉しいのは、中学受験で一度教室を離れた子が、高校生になって「次の級を取りたいから」と戻ってきてくれたりする時です。「また一緒に楽しい時間を過ごせるんだな」と、本当に嬉しくなります。
私は良い意味であまり難しく考えないタイプなのですが(笑)、そろばんの技術自体は、1級のレベルも含めて誰でも教えられることだと思います。ただ、そこに至るまでのプロセスで、「どうすれば飽きずに楽しんでもらえるか」「どうすればいい関係を築きながら技術を伝授できるか」を常に一番に考えています。
インタビュアー:先生が教えるというより、生徒の皆さんと一緒に楽しさを分かち合っているイメージですね。
菅原先生:まさにその通りです。だからこそ、これまでに30匹ほど野良猫の里親探しをしてきたエピソードも、子どもたちとの大切な思い出になっています。
迷い込んできた猫や、生徒が「排水溝で子猫が動けなくなっていたから、近所のおじいさんと助けた! 先生、なんとかして!」と連れてきた子など、色々なケースがありました。そこから教室全体で里親探しが始まるんです。
泥だらけになった子猫を家で洗ってくれる子がいたり、「2日くらいならうちのマンションで預かれるよ」と言ってくれる人がいたり。みんなで協力して、これまでたくさんの猫たちを新しい飼い主さんの元へ届けてきました。子どもたちと一緒に写真を撮ってポスターを作り、近所に配ったりもしたんですよ。
通常、学校の敷地内にはそういったポスターは貼れないルールがあるのですが、生徒が自ら校長先生に直談判しに行ったんです。すると校長先生も「これは素晴らしいことだからいいよ」と快諾してくださり、小学校の掲示板に特別に貼らせていただいたこともありました(笑)。
子どもたちは本当に純粋ですから、里親さんが見つかった時は全員で大喜びします。そろばんの技術を磨くだけでなく、こうした温かい経験を子どもたちと共有できたことは、私にとっても大きな財産です。とにかく、すべてが楽しかったですね。
インタビュアー:お話を伺っているだけで、先生の教室のファンになってしまう理由がよく分かります。
菅原先生:私というより、子どもたちが自発的に盛り上げてくれるんです。私はただ、彼らが集まる「器(居場所)」を作って、周りを少しサポートしているだけ。でも、その器作りこそが一番大切な役割だったのかもしれないと、今振り返ると思います。
子育てに悩む保護者の方へ:「教育」ではなく、子どもと「共に育つ」
インタビュアー:では最後に、このインタビューを見てくださっている、子育てや教育、お子さんの習い事などで悩まれている保護者の方に向けて、メッセージをお願いいたします。
菅原先生:お母様、お父様方は、毎日本当にお忙しい中で一生懸命子育てに向き合っていらっしゃると思います。でも、どうか「完璧な親でいなければ」「親だからこうしなきゃ」と、四角四面に考えすぎないでくださいね、とお伝えしたいです。偉そうなことを言っていますが、我が家だって家の中はボロボロなんですよ(笑)。
「教育」という言葉は「教えて育てる」と書きますが、私は、親も周りの大人も子どもと「一緒に育っていく(共育)」ものだと思っています。お母さんたちも「自分がしっかりしなきゃ」と肩肘を張るのではなく、自分の良いところも、少しダメなところも、ありのまま子どもに見せ合って、共に生きていけばいいのではないでしょうか。
私自身、長年「先生」と呼ばれてきた職種なので、かつては自分の子どもに対して、どうしても上から目線になってしまったり、「私がなんとか導いてあげなきゃ」と力んでしまったりした反省があります。でも、親だって間違えることはありますし、完璧でなくて良いのです。少し肩の力を抜いて、お子さんと一緒に「今」という時間を楽しんでほしいと思います。
私たちの教室は、もちろんそろばんを教える場所ですが、それ以上に、子どもたちが安心して「自分らしくいられる寺子屋」でありたいと思っています。子育ての中で何か困ったことや、ただ誰かに話を聞いてほしいなと思うことがあれば、いつでも気軽に遊びに来るような気持ちで、私たちを頼っていただけたら嬉しいです。
インタビュアー:菅原先生の温かいお人柄と、教室の素晴らしい魅力が伝わるお話でした。本日は貴重なお時間をいただき、本当にありがとうございました。
菅原先生:ありがとうございました。とても楽しかったです。


